究極のドジ娘
「…、後はホワイトチョコで…と、よし、完成」
今日は2月14日。
香穂子は朝早くに起きて、月森に渡すチョコを作っていた。キッチンのあちこちをチョコまみれにしながら。
何故、当日の朝なのか──。
それは、単に前日までチョコと格闘していた、という訳である。
どうせ、簡単だから大丈夫、と侮っていたのかもしれない。
時間も余るだろうから、他の人用(つまりは義理チョコ)のも一緒に作ってしまおう、なんて考えたのが、浅はかだったのかもしれない。
その為、少し多めにチョコを買ってきたのだが、昨日は何度も失敗してしまった。
柚木への本命なら、味・見た目共に完成された物でなければならない。そう気負っていただろう。だが火原なら、ちょっと位失敗しても、逆に手作りという事で歓迎されるだろう。土浦なら…。
そんな余計な事を考えていたのもいけなかったのか、思ったように上手くいかない。
ふと、当の本人、月森に渡した時の反応を思い浮かべてみた。
ちゃんとした物が出来ていれば喜んでくれるのは、わかりきっている。だが、それが予想に反したものだったら…。
すごい嫌味を言われそうで、それがとてつもなく悔しくて、完璧を求めすぎたのかもしれない。結局昨日一日チョコ作りに没頭しても、自分に納得のいくものが出来なかった。
なので、凝った物は諦めて、シンプルなものにしようと決めたのは、当日の早朝。
本当にシンプルで、ただチョコを溶かしてハートの型に流し込んで固めるだけ。
それだけだとなんか物足りなかったので、デコペンで更に小さなハートマークを書き、ようやく完成した。
ほっと一息つくと、他の人用のも作り始めた。微妙に1個多めに作れてしまったので、今夜帰ってきた父にでも渡せばいいかな、なんて軽い気持ちでいた。
そしていざラッピング、と思ったら、包装紙とリボンを1種類ずつしか買ってこなかった事に気付いた。
完全に月森の事しか考えてなかったと、自分自身に呆れた。
まあ、本命チョコを最初にラッピングしてきちんと分けておけば、間違えることもないだろう。父親用のもちゃんと分けておかないとね、とこれにもきちんとラッピングした。
そして、間違えないようにと、本命チョコを別の袋に入れようとした時、だった。
「香穂ー、時間平気なのー?」
母親に言われて香穂子はキッチンにかかっている時計を見た。
時刻はとうに家を出る時間を過ぎている。まだ走れば間に合う時間だったので、慌ててチョコを鞄に入れ、支度を済ませ、口の中に残っている食パンを牛乳で流し込むと、ダッシュで家を飛び出した。
「全く、どうして時間にゆとりをもてないのかしら、あの子は…」
母親は、乱雑になったキッチンを見て深い溜息を吐いた。そして、そこに残された1つのチョコの包みに気がついた。
「時間に余裕を持たないから…。まあ、自業自得かしらね。途中で気がつくでしょ」
香穂子が息を切らしながら校門にたどり着くと、幸いにもまだ予鈴前だったようで、まだエントランスにも生徒がいた。香穂子はほっと一息つき、息を整えると、そのまま教室に向かった。
持ってきたチョコは、昼休みや放課後に渡せばいいだろう。
受験前だけど火原はオケ部の後輩達と昼バスか、もしくは放課後オケ部に顔を出している所を捕まえられるだろう。柚木はどうせ、毎年のように親衛隊に囲まれているだろうから、容易に見つけられるだろう。渡すのは一苦労かもしれないが。
後輩の志水は、屋上か森の広場とか、こうお昼寝に丁度いい場所を探せばいそうな気がする。土浦は、同じ普通科だし、同じ学年だから比較的捕まえやすい。
金やんは音楽準備室に行けばいいだろうし、今日は王崎はオケ部に顔を出す日だからわざわざ探す必要も無い。
こんなように、コンクールで仲良くなったので、いつもの居場所とかは想像出来る。
本命の月森は、最近は特に放課後練習室に篭ってる事が多いので、練習室を覗けばいいだろう。それに、どうせ約束もしていないが、月森が練習室にいるのが解ると、香穂子もお邪魔して一緒に練習したりしている。
ここ最近はほぼ日課のようになっているし、月森も香穂子の事を認めているので、文句も言わない。
そう言えば、コンクールが終わった後、香穂子に音楽科への編入の話が持ち上がった。総合優勝は逃したが、途中のセレクションで優勝したり、後半は上位に食い込んでいたからだ。
だが、香穂子にはこのまま音楽の世界に足を踏み入れるかは考えていない。魔法のヴァイオリンが無ければ縁の無い話だったし、もともとそういう世界で過ごしてきた訳でもない。
未だに、曲名から曲は出てこないし、誰の曲かわからないものも多い。
折角の話だったが、香穂子は丁重に断った。
一緒にコンクールに参加した皆は、その話にうすうす気付いていたのか、特に音楽科に在籍する者は期待していたのかもしれない。
香穂子が断った、というと、残念がる人の方が多かった。
だが、月森は違った。
香穂子が、自分の好きな時に好きなようにヴァイオリンを弾きたい、そう言ったら、「日野らしいな」と一言だけ呟いた。その月森の顔は、少し残念そうな笑みを浮かべていた。だけど、香穂子がこのままヴァイオリンを続けていきたいという気持ちがあるという事は、喜んでくれた。
これからの事なんて、まだわからない。進路もそのうち決めなきゃいけないだろうけど、もし音大に行くのなら編入した方が有利なんだろうけど、今のままの自分で頑張っていきたい。
そして、放課後──
香穂子の予想通りなら、月森は練習室にいる筈だ。ここ最近は、毎日のように練習室に詰めている。
だが、練習室に月森はいなかった。
どこに行ってしまったのか、もし帰ってしまったのなら、チョコを渡しそびれた事になる。
星奏学院内は土足のままなので、そもそも昇降口がない。そうなると、所謂下駄箱でまだ下校してない事を確認する、という事が出来ない。
こうなると、広い学院内を探し回らなければならない。
月森が好む屋上に居てくれればまだいいが、これで森の広場になんか居られたら、もう大変だ。
せめて屋上に居てくれますように、と香穂子は念を込めて屋上へと向かった。
屋上へ続く階段を駆け上り、扉の前で息を整えると、香穂子は思い切って扉を開けた。
念が届いた、と云うべきなのだろうか。扉を開けた瞬間に聞こえてきたヴァイオリンの音で、月森がここに居るとわかった。曲はシャコンヌ。コンクールでも弾いた曲だったので、香穂子にも何の曲だかわかった。
どうやら、月森は風見鶏のある、上で弾いているようだ。音は、扉を開けたすぐ上から聞こえてきた。折角弾いているので、邪魔をしては悪いと思い、香穂子は階段の一番下に座り、月森の弾く曲に耳を傾けていた。第1セレクションで弾いた曲ではあるが、その時とは奏でる音が変わってきている。
香穂子は、月森の弾く音が好きだ。月森の奏でる音色を聞きながら、早起きして寝不足だったので、そのまま夢の中へと突入していった。
月森は何曲か曲を弾き終わると、寒さに体を震わせ、ヴァイオリンを片付け始めた。
晴天の中、清清しい空気の中で弾いてみたい、なんとなくそう思ったのだ。そろそろ普通科の授業も終わって、香穂子も練習室に顔を覗かせる時間かな、と思い立ち、校舎内に戻ろうとした時、階段の下で眠ってしまっている香穂子の姿に驚いた。
2月の寒空の下、香穂子はコートを抱え込んで丸くなって眠っていた。このままでは、風邪をひいてしまうので月森は急いで香穂子を起こした。
「香穂子」
体を揺すられて香穂子は目を覚まし、くしゅんと軽くくしゃみを一つした。
「こんな所で寝ているからだ」
ふと間近で聞こえた月森の声に、香穂子は驚いた。
「体が冷えているじゃないか。どうしてこんな所で寝ていたんだ」
怒っている月森の声が、香穂子に浴びせられる。
「だって月森くん、練習室にいないから帰っちゃったかと思って、探したんだよ」
「それがここで寝ていた理由にはならないと思うが」
確かにそれもそーだ。
「今日、早起きしたから、寝不足で、その…」
そう言うと手元に置いてあった、小さな紙袋を月森に手渡した。
「これを作ってたの。朝、早く起きて。でも、なかなか上手くいかなくて…」
「これは?」
月森は紙袋を受け取りつつも、貰う理由が思い出せずにいた。
「今日、バレンタインでしょ。何の変哲もない在り来たりなチョコだけど…」
「俺、に?」
「もしかして、迷惑?」
「えっ?」
「月森くんなら、他の女の子からいっぱい貰ってそうだもんね」
そう言えば、今日は朝からいろんな女の子から、プレゼントを渡される訳だ、とようやく月森は納得した。結局、貰う理由がないからと、全部断ったのだが。
「いや、誰からも受け取ってはないが…」
「貰ってくれる?」
「ありがとう、香穂子」
礼を言うと、月森は香穂子に笑みを向けた。普段、無表情な事が多い所為か、突然の笑みに香穂子は弱い。顔を赤くさせながら、「メッセージカードもね、月森くんが好きそうなのを選んだんだ」と嬉しそうに話した。
その言葉に、月森は目を丸くした。
「カードなんて、入ってないようだが?」
「え、嘘。入れるの忘れちゃったのかな」
おかしいな、確かに入れた筈なのに、と呟きながら、香穂子は自分の鞄の中を探してみる。
だが、鞄の隅にもカードは入ってなくて、慌ててる香穂子を横目に見て、月森は貰ったチョコの包みを開けた。
中に入っていたのは、ハートの形をした手作りのチョコレート。
但し、ハートの形のど真ん中に大きく書かれた文字に、月森は言葉が出なかった。
義理
書かれてあった言葉は、この二文字。
これは、香穂子の悪戯なのか、それとも本気なのか。
香穂子は「やっぱりカード忘れちゃったみたい」と言って振り返ると、チョコの包みを開けたまま固まっている月森にようやく気がついた。
「あ、もう開けちゃったの」
そう話し掛けても、月森からの返事がない。その事に疑問を感じた香穂子は、月森が持っているチョコを覗き込んだ。
そして、気付いた。
渡すチョコを間違えたのだ、と──。
いや、持って来るチョコを間違えたのだ。
余っていたチョコを型に流し込んで、数が1個多い事に気付き、折角だから父親用として分けておき、更にふざけて思い切り遊んで、『義理』なんて書いてしまったのだ。
慌てて家を飛び出したから、間違って持ってきてしまったのだ。
青ざめた顔で月森を見ると、未だに固まったままの月森がいた。
「ごめんなさい、月森くん。間違えて持ってきちゃったみたい」
そう言うと香穂子は月森の手からチョコを奪うと、「本当にごめんね」と謝ると、屋上から駆け出してしまった。
月森が我に返ると香穂子の姿はもうなくて、呆然としたまま練習室へと向かった。
その後の月森の音が何時もの音でなかったのは、言うまでもなかったが。
香穂子は慌てて家に帰り、テーブルの上に置きっぱなしになっていた本当のチョコが入った紙袋を手にとり、カードが入っている事もきちんと確認し、また慌てて学校へと戻っていった。
学校を出たのが、少し遅くなってきていたので、また学校に着いた時は完全に下校時間になっていた。まだ、月森が学校に残っている事を願いながら、正門前で月森が来るのを待った。
待っても月森は来ない。やっぱりもう帰っちゃったのかな、そう思った時だった。
「香穂ちゃーん」
香穂子の姿を見つけて駆け寄ってくる火原の姿を見つけた。
「火原先輩、今帰りですか?」
「さっきはチョコありがとね。美味しかったよ」
火原はすごく嬉しそうな顔をしていた。
「もう、食べちゃったんですか?」
「うん、オケ部に顔出ししてたら、お腹減ってきちゃってさ、さっき食べた」
再度火原に「本当に美味しかったよ、有難う」と礼を言われた。
「あ、今帰りなら、一緒に帰らない?俺、送ってくよ」
香穂子は丁重に火原の申し出を断った。
その二人を、タイミングが悪い事に月森が見ていた。
(火原先輩と…。そういう事か)
月森は一人納得すると、香穂子には声を掛けずに過ぎ去ろうとした。
だが、過ぎ去ってすぐに月森の姿を香穂子が見つけ、駆け寄ってきた。
「さっきはごめんね、急に帰っちゃって」
「いや、いい。それよりも、いいのか。火原先輩に送ってもらわなくて」
「いいの。だって月森くんの事、待ってたんだし」
「俺を?」
香穂子は、今度は正しいチョコを月森の前に差し出した。
「さっきの今だから、受け取って貰えるとは思ってないけど…。でも、月森くんの為に一生懸命作ったの」
香穂子は泣きそうになりながら、下を向き月森と顔を合わさないままチョコが入った紙袋を月森の前に差し出している。
幾ら下校時間が過ぎているとはいえ、まだ正門前だ。パラパラと他の生徒が通り過ぎていく。こんな状況では目立ってしまうし、それでなくても二人とも学内コンクールの参加者だ。余計に目立っている。
月森はチョコを受け取ると、そのまま香穂子の手を掴んで歩き出した。
「あ、あの、月森くん?」
香穂子は慌てながらも、手を掴まれているので、月森の歩く速度に合わせた。
月森は香穂子の手を掴んだまま、黙々と歩いている。やっぱり怒っているのかな、そう思った香穂子は、文句も言わずにいた。
「痛っ」
突然、香穂子の手を掴んでいた月森の手の力が強くなり、痛みに香穂子は顔を顰めた。
香穂子の言葉に我に返ったのか、月森は慌てて手を離した。 そして、気付くと香穂子の家のすぐ近くまで来ている事がわかった。
「すまない」
「えっ?」
突然の月森の謝罪に、何に対してなのか香穂子は理解できずにいた。
「手を強く掴んでしまっていたようだ。指は痛めていないか」
「あ、うん。大丈夫」
その言葉に、月森は多少ほっとしたようだった。その時、月森の手からチョコの入った紙袋が落ちた。それと同時に中に入っていたカードが外に飛び出した。
月森は紙袋と一緒に拾い上げると、カードに目を通した。
「あ、あの、目の前で見られると…」
香穂子は顔を真っ赤にして俯いてしまった。
『蓮くん、好きです。香穂子』
カードにはただそれだけが書かれていた。
それだけなのに、月森は幸せに満たされた気持ちになった。実際に呼ばれた事のない下の名前。カードの中だけでも嬉しい気持ちになったのは、間違いない。そして、先程正門前で一人納得したのは誤解だったのだと解ると、思わず月森は笑ってしまった。
突然の月森の笑いに、香穂子は慌てた。
「何で笑うのー。何か変な事、書いた?私」
香穂子は月森の手からカードを奪おうと必死になったが、そうやすやすとカードを渡そうとは月森も思っていなかった。すると香穂子は、バランスを崩した。それを助けようと香穂子の腕を引っ張ると、香穂子は月森の腕の中へと収まった。
「有難う、月森くん」
香穂子はそのままの体勢で、顔だけ上げた。月森と視線が合うと、その目はとても真剣な眼差しだった。香穂子は、その強い眼差しから視線を逸らす事が出来ずにいると、ゆっくりと月森の顔が降りてきた。
香穂子もそれに逆らおうとはせず、自然に受け入れた。
触れるだけの優しいキスは、チョコをも溶かしてしまう程温かいものだった。
《終》
初の月日創作です。コルダをPlayした時は、男性キャラ一番最後にクリアしたキャラなんですが、まさか創作書いちゃうとは思っても居ませんでした。(火原→志水→柚木→土浦→王崎→金澤→月森の順で攻略した気が) 今でも好きキャラは火原っちだったりするんですが、それでもコルダ初創作は志水君だったので、どの作品でも好きキャラと書けるキャラは異なってしまうようです。
最初考えていたよりも、かなり長くなってしまったようです。途中まではちょこちょこメモ帳にネタ書きしていたんですが、間に合いそうもなくて直接打っていたらこんなに。風邪引き真っ最中なので、糖度は保障しません。