時期遅れのインフルエンザ 
 バレンタインが過ぎてから2〜3週間。だいぶ暖かい日が多くなり、春ももう間近になった3月のある日。
 何時も週末は必ず二人で過ごしていたが、ここ数日友雅の仕事が忙しく、週末のデートもままならなかった。それだけでも寂しくて仕方ないあかねだったが、平日の夜も電話をしても仕事で忙しいのか、一応電話には出るのだが、少し会話をしただけで切れてしまう。翌朝、謝罪のメールが入るのも恒例になっていた。仕事が終わるのが遅くて、あかねが寝ているだろうという事を考えて翌朝になるのも、気を遣ってくれているというのも解るのだが、それもなんだかあかねには寂しかった。
 そしてホワイトデーを翌週に向かえた週末。数週間振りに友雅の仕事も一段落出来、休みが取れる事になった。あかねは久しぶりのデートに心躍らせた。
 学校が終わり、家に帰って着替えていた時に、あかねの携帯が鳴った。

──この着信は、友雅さんからだ

 友雅用にあかねは着信音を変えていたので、すぐに相手が解った。
「もしもし、元宮ですけど」
ああ、あかね、言い難い事なんだけど…」
 電話越しの友雅の声が何だかおかしい事に、あかねはすぐに気付いた。何時ものように声にはりがないというか、とにかく何時もと違う。そう、風邪をひいたらこんな声になるだろうか。

──風邪?

「友雅さん、もしかして風邪をひいたんですか?」
「察しがいいね、あかね。で、今日のデートなんだけど…」
「そんな事は中止でいいです。今から行きますから、おとなしく寝てて下さいね」
 あかねは急いで看病しに、友雅の家に行こうと思い、頭の中ではもう病人には何が必要か考えていた。
「その事なんだが、看病しに来なくていいからね」
 頭の中で買い物リストが出来上がっていたあかねは、その言葉に思考がストップした。
「何を言ってるんですか。気にしないで下さい」
「いや、只の風邪なら喜んで看病されたいんだが、どうやらインフルエンザに罹ってしまったようでね」

──インフルエンザ?

「インフルエンザって、もう3月ですよ」
「年によってはまだ罹る人はいるらしい。あかねにうつったら困るから、今日は来なくていいからね」
 そう言うと、友雅は電話を切ってしまった。
 仕事の忙しさで体力が落ちているところで、罹ってしまったのだろう。あかねもこの冬は、年末にインフルエンザに罹って辛い思いをしている。幸いあかねは親元なので、母親に看病してもらったのだが、友雅はその看病してくれる相手が誰もいない。
 そう思ったあかねはすぐに家を飛び出した。

 マンションの友雅の部屋の前まで着き、あかねは以前何かの時用に貰った部屋の鍵を取り出した。それで部屋の鍵を開けて中に入ろうとすると、チェーンロックが掛けられていて、中に入ることが出来ない。あかねが、チャイムを鳴らして友雅を呼ぶ訳にも行かないし、どうしようと悩んでいた所、友雅からの電話が鳴った。
「あれほど来なくていいと言っただろう。今日はいいから帰りなさい」
「でも友雅さん…」
「去年あかねはインフルエンザに罹って、辛い思いをしただろう。うつったら困るから、帰りなさい」
「でも…」
 段々とあかねの声が小さくなる。
「あかねに辛い思いをさせたくないから、いいから帰りなさい…」
 最後の方は、もう声が小さくて聞き取るのがやっとだった。それだけ、電話で話すのも辛いのだろう。あかねは友雅の言葉を聞き、家路に着いた。

 結局それから数日、あかねは友雅の事を気遣って、電話もメールも控えていた。実際友雅も、メールを見る事すら億劫だったからだ。
 そしてホワイトデーの前日の夜。あかねの携帯が鳴った。
 着信を知らせる音は、友雅からの電話である事をあかねに伝えた。急いで電話に出ると、何時もどおりの友雅の声だった。
「随分と心配をかけたね。明日は久しぶりにゆっくりしよう」
 ホワイトデー、デートのお誘いだった。病後と言う事も考えて、友雅の部屋で過ごす事になった。
 そして翌日。学校が終わって家で着替えをし、少し買い物をしてから友雅の家に向かった。

 今日はチャイムを鳴らす。そう言えば先週は中に入ることが出来ず、友雅に会う事も出来ずにUターンしたのだった。今回は違う。ちゃんと友雅の誘いを受けているし、なんと言っても今日はホワイトデー。そして久しぶりに友雅に会える日でもあった。
 そんな事を考えていると、友雅がドアを開けて中に招き入れてくれた。
「ようこそ、あかね」
「もう、大丈夫なんですか。少し痩せた?かな」
「昨日まで熱はあったし、食欲も無かったからね。本当、薬と言うものは便利だね」
「だろうと思って、食材買ってきたんです。食べられなかっただろうから、おなかに優しいもの作りますね」
 そう言ってあかねはエプロンを取り出すと、台所に立って簡単な物を作り始めた。
 少しすると食欲を増すような匂いが台所から漂ってきた。その匂いと共に、あかねは食事を持って居間に入ってきた。
 あかねの手料理に友雅が舌鼓を打った後、友雅は立ち上がると、一旦台所に行って何か簡単に包まれた箱を持って戻ってきた。
 あかねの前にその箱を差し出すと、あかねに開けるように促した。
 あかねが箱を開けてみると、中に入っていたのは焼チーズケーキだった。
「前に好きだと言っていただろう。バレンタインのお返しが用意できなくてね。こんなものですまないが、受け取ってもらえるだろうか」
「そんな…。バレンタインの時も結局私が勘違いしてチョコ食べちゃって…」
「ちゃんとその後、あかねからチョコを貰った筈だが」
 友雅は意地悪そうな笑みで返した。
「あれ、さっき昨日まで熱があったって言ってましたよね。そんな状態で、わざわざ作ったんですか」
 早速あかねが、チーズケーキを戴いている時に、ふと最初に言った友雅の言葉を思い出した。
「ああ。買いに行く暇もなかったからね。こんな間に合わせですまなかったね。今度、別の機会にちゃんと埋め合わせはさせて戴くよ」
「そんなことじゃなくて。病気だったのにわざわざ作ったんですか」
 あかねはその事実にすごく感激した。その友雅の思いがとても嬉しかった。

 こうして、久々のデートとなったホワイトデーは、楽しくそしてとてもいい思い出となる一日となりました。
《終》
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