猫と私と、あなたと猫と


 寒さが和らぎ厚手のコートもそろそろお終いか、という春の兆しが現れ始めた頃。
 今日の予定は、望美が銀のマンションにやってくるので、それから何処かへ出かける事になっている。彼女が望むのであれば、場所はどこでもいい。
 いや、今日は珍しく彼女のエスコートになっているのだから、銀には行き先は分からない。
 もうそろそろ、望美が到着する時刻だ。


 trrrrr―――――。


 不意に銀の携帯が鳴った。前に望美に言われたが、銀は携帯の着信の音は、普通の音にしている。
 前に望美に、折角使えるのだから着メロ使わないの? と、訊かれたが、どうも電話という感覚がないので、と返されてしまった。電話の感覚も何も、現代に来てそんなに経っていないというのに。

「はい、もし…」
「銀、お願い、早く来て!」
 電話に出たと同時に望美の悲痛の叫びが聞こえてきた。
「神子様、どうかなさったんですか?」
「早く、早く来てくれないと…」
 どうやら望美は気が動転しているようだ。望美が今居る場所を聞くと、どうやらこのマンションの下にいるらしい。
 銀はすぐに部屋を飛び出した。もし望美に何か遭っては大変だからだ。
 マンションを飛び出すと、望美は目の前の道路の脇に座り込んでいた。
「神子様、どうかなさ…。 !? 神子様!?」
 銀は望美の姿を見た途端、驚いて大きな声を挙げてしまった。だが、気が動転していた望美には、その位の大きさでちょうどよかったのかもしれない。望美は、お気に入りのコートを血まみれにしていた。
「何処か怪我をされたのですか!?」
 ようやく銀の言葉に気がついたのか、望美は泣きはらした目を上げ、銀の存在を確認すると首を大きく横に振った。
「ね、猫が…」
「猫?」
 言われてみれば、望美は何かを抱きかかえていた。血にまみれ、僅かに存在を主張している。銀が存在に気付いた時、その猫は微かに弱々しい鳴き声を挙げた。
「お願い、銀。病院に…」
「わかりました、神子様。少しお待ち下さい」
 そういうと銀は急いでマンションに戻り、車を出して望美のすぐ脇に止めた。
「さあ、神子様、ゆっくり、静かに乗ってください」
 銀は一旦車から降りると、助手席側に周りドアを開けると、望美は猫が落ちないよう、恐る恐る車に乗り込み、それを確認するとドアを閉めた。そして自分も乗り込んで、車をすぐに出すだろうと思っていたが、銀は車に積んでいたタオルを猫の下に引いた。
 このことにより、これ以上猫の血で望美のコートを濡らす事もなくなる。春の兆しが現れ始めたとはいえ、まだ寒さも残るこの時期、濡れたままの状態でいると望美が風邪をひいてしまうと言う事を承知しているのだった。
 手慣れた調子でカーナビで近くの動物病院を検索し、振動を立てないように銀は車を発進させた。
 望美の事を思って、というだけでなく、弱りきった猫の事も配慮に加えている辺り、さすがと言ったところか。
 マンションから然程遠くない場所で動物病院を見つけた。
 急患ともあり、そしてカーナビで調べた番号に銀が予め電話をしていた事もあってか、すぐに処置室へ入れられた。車かオートバイに轢かれたようで、しかも子持ちの母猫だったのだ。
 このままでは母体もお腹の中の子猫も危ないとの事で、その手術も一緒に済まされた。


 そして、母猫も子猫も無事助かって。
 獣医さんから聞いた話だが、どうやら捨て猫でこの周囲をうろついていたようで。しかも、お腹の感じから子供を身籠っている事も気付いて保護しようとはしていたらしい。
 だが、捨てられたという事で人間が近づくとすぐに逃げ出していたようだ。
 手術も済んだその母猫の所に、望美は行ってみた。先程の話から、拒絶されるだろうと思っていたが、どうにも気になるのだ。だが、麻酔が効いている為に、いまだ眠ったまま。
 しばらくは入院が必要との事で、望美は銀に連れられて病院を後にした。
 そして、途中で新しい服を買い、今まで着ていた服は処分してもらった。その間も望美は呆然としていた。

 ようやく銀のマンションへと戻り、部屋で一息つくと、望美はボソッと呟いた。
「あの猫、大丈夫、だよね」
 沈んでいた望美は、やはり先程の猫のことが気になるようで、マンションに戻ってからも一日、沈んだままでいた。
「大丈夫ですよ、神子様。貴女の手で助けられたのですから。今日は眠っているだけですよ。また明日、お見舞いに行ってあげましょう」
 銀に優しく微笑まれて、望美はただコクンと頷いた。
 そして毎日、時間がある時に少しの時間でも、病院に二人で訪れた。産まれたばかりの子供を持つ親猫として、近づく人たちには威嚇をしていたが、何日も通っているうちに、母猫は事故に遭った後、自分を優しく勇気付けてくれた望美の匂いを思い出したのか、やがて望美にはおずおずと近づいてくるようになった。
 それを見て、銀はある提案を出した。
「神子様、この猫、私の方で引き取りましょうか。聞けば、捨て猫だと仰っていましたし、唯一神子様に懐かれてございます。本来なら神子様がお世話を為さるのが道理ではございますが」
 銀の言う事にも納得がいく。懐いているのは、望美ただ一人。だが、望美の住んでいるマンションはペット禁止。その代わり銀の住むマンションは、ペット可なのだ。
 その事もあってか、またここで望美が飼えないとなると、この母猫の人間嫌いは更に増してしまうだろう。
「でも…」
「大丈夫ですよ、神子様。誠心誠意尽くせば、いずれは打ち解けて下さいます。それに、神子様も逢いに来て下さるのでしょう?」
 銀はにっこりと微笑むと、親子の猫が退院の日、二人で病院を訪れた。今度は二匹の飼い主として。
 銀のマンションに行くと、望美は二匹の猫を降ろした。子猫はまだ小さすぎて降ろしてもらった場所でただうずくまるだけで、母猫もその子猫の毛づくろいをしていたが、やがて子猫が眠り始めると、恐る恐る部屋を歩き回った。
 早々に猫用のトイレや寝床を作っておいたけど、先ずはこの部屋自体に慣れるのが先だ。だから特に構いもしなかった。母猫はしばらく部屋をうろうろしていたが、望美の匂いに気付いて擦り寄ってきた。
「ふふっ、これが雄猫だったら神子様をお渡しなどしないのですが」
「だから、どうしてそうなるのかなー」
 望美はそんな銀の嫉妬にちょっと嬉しくなっていた。自分は銀のものであり、けっして他の誰のものでもないからだ。
「あのね、銀。私も、この母猫が懐いたのが銀だけだったら、妬いてたよ」
 銀にそう耳打ちすると、銀は満面の笑みを浮かべた。


 結果的には母猫も子猫も、どちらか片方に懐くと言うこともなく、二人に平等に懐いた為、難を逃れたといってもいいだろう。


 猫と私と、あなたと猫と…。
 それは、これからの素敵な生活への幕開けだった。

 
《終》

恋姫庭園での1000HIT御礼のキリリクです。
京子さんからのリクエストで、「銀×望美」です。
如何でしたでしょうか。
改めて、京ちゃん、キリ番踏んでくれて有難うね。