すれ違い
「え、いない」
香穂子はお昼休みの時間を利用して、わざわざ音楽科の月森の教室までやってきた。
たまたま近所の人から貰ったクラシックコンサートのチケットがあるから、誘おうと思ったのだ。
でも、実はチケットを貰ったのが数日前。
どうやって誘おうか、と頭を悩ませていたら、とうとう公演日が翌日の土曜日まで迫ってしまったのだ。
なので、誘うならもう今日しかない。今日を逃すと、もう誘えなくなってしまう。
勇気を振り絞って音楽科まで来たのだが、これから他の所を回ってみるとしても、あまり時間がない。まだ練習室か屋上に居てくれればいいが、その他の場所だと昼休みが終わってしまう。
あたりをつけて、屋上にやってきたがどうやらここには居ないらしい。
最後に音楽室を覗いてから教室に戻ろうかとしたが、屋上を出て少し経ったあたりで予鈴のチャイムが鳴ってしまった。
諦めて放課後、捕まえようと香穂子は断念した。


「日野さんが来た?」
音楽準備室に居た金澤先生の用事を済ませて戻った月森は、クラスメートから香穂子が訪ねてきた事を聞いた。
こんな事なら、金澤先生の用事など大した事でもなかったので、後回しにすればよかったかな、とも思いもしたが、放課後彼女を探し出せばいい話だろう。
そんな簡単な気持ちが、今後の悲劇を生むとは思ってもいない月森なのであった。


放課後、香穂子は今度こそ月森を探し出さねば、と堅く決心していたが、日直という放課後も少し拘束される立場にあった事が、恨めしく思われた。
月森は、まずは香穂子の教室だろうと、ホームルームが終わると、そのまま普通科の教室に出向いた。
運の悪い事に月森が教室にたどり着いた時には、香穂子は担任の用事により普通科の教室から音楽科の教室まで、仕事を押し付けられていたのだった。
香穂子も仕事が終わり次第、そのまま音楽科の校舎を探し回ればいいか、まだ時間も残ってるし、と香穂子も余裕を見せていたのも敗因だったのだろう。
担任の用事を済ませた後、月森の教室を訪れると、とっくのとうに授業も終わっており、教室に人はまばらだった。
残っている人に月森の行き先を聞いても誰も知る者はいなく、ただ鞄が残っているからまだ学校に残っているだろうという事だった。
香穂子は先ずは、練習室に顔を出した。だが、他の生徒でいっぱいで、唯一見知った人で練習室を使っていた志水君に聞いても、今日は姿を見てないからわかりません、と眠たそうな顔で答えられてしまった。

この時月森はエントランスに居た。エントランスにいた香穂子と同じ普通科の土浦に声を掛けると、担任の用事で音楽科校舎に出向いているらしい、という情報を得る事が出来た。
香穂子は次はまた屋上を覗いてみたが、やはりここにも月森はいなかった。
「何処にいるのかなあ、月森君」
香穂子は思わずため息をついた。
 月森は月森で、先生の用事なら音楽室とかにいるかもしれない、と思い、音楽室を覗いてみた。
そこにはオケ部に顔を出していた王崎とオケ部の火原いた。
「王崎先輩、火原先輩、日野さんを見かけませんでしたか」
「日野さん? ごめんね、月森君。僕は今来たばかりだから、見かけてないよ」
王崎からの返事で少し気を落としかけたが、次の火原からの返答でそれも持ち直した。
「日野ちゃん? さっき先生の用事とかで顔を出したけど、頼まれた荷物を置くと、すぐに出て行っちゃったよ」
「火原先輩、日野さんは何処に行くか、何か言っていませんでしたか」
「ごめんねー、月森君。あまりにも急いでいたみたいで、僕も日野ちゃんに声をかけてないんだ」
そんな事で、月森は香穂子の足取りを追い始めた。

香穂子はたまたま音楽科の校舎で月森を探していると、昼休みに月森の事を訪ねた生徒を見かけた。その生徒も香穂子に気付いたのか、声をかけてきた。
「えっと、日野さんだよね。月森君には、昼休みに君が会いにきたって伝えてあるから、もしかしたら君を探してるんじゃないかな」
「あ、有難う御座います。もう少し探してみます」
香穂子はそう言って軽くお辞儀をすると、次の場所へと向かった。



結局、二人は行く先々ですれ違ってばかりのようで、ふと香穂子は下校前の1時間を練習室の予約を取っていた事を思い出した。でもこのような状態では、練習にも身が入らないので、予約をキャンセルしに行こうかと思い、ついでに荷物も持ってきてしまおうと、一度普通科に戻った。
教室で鞄とヴァイオリンケースを持つと、その足で練習室へと向かった。

練習室に着くと、香穂子の目の前にリリが現れた。
「よう、日野香穂子。今日は何の曲を弾くのだ?」
「ごめん、リリ。今日は練習どころじゃないの」
「どうしてなのだ。お前は今日、全然練習をしていないではないか。そんな事で次のセレクションに間に合うと思っているのか?」
そう、今日は結局月森探しで全然練習など出来やしなかった。こんな状態では、月森に怒られてしまうかな、と感じ、もうコンサートに誘う事は諦めて、香穂子は練習室でヴァイオリンを弾き始めた。
少し練習していると、放課後あっちこっちへと走り回った所為か、ふと睡魔に襲われた。
香穂子は我慢が出来なくなって、ついつい眠ってしまった。
そんな時、月森は練習室の予約の名簿に香穂子の名前を見つけ出し、香穂子が使用している練習室に到着した。
だが、中からヴァイオリンの音が聞こえてこない。いないのかと不思議に思いドアを開けてみると、中で眠ってしまっている香穂子を見つけた。
「何処に行ったのかと思ったら。こんな可愛い顔して眠ってしまっているなんて。俺がどんな気持ちで君を探していたかなんて、これっぽっちも思っていないんだろうな」
月森は苦笑いすると、香穂子が座り込んでいる隣に腰を降ろした。



香穂子はふと肩に重みを感じて目を覚ました。
ふとその方向を見ると、どうしてか今まで探していた月森が、香穂子の肩にもたれかかるようにして眠っていたのだ。
香穂子は思わず月森の顔をまじまじと眺めた。
「うわー、意外に月森君って睫毛が長いんだ」
そんな言葉をふと漏らした時、目を覚ました月森と目が合った。
「あ、ごめんね、寝顔をみるつもりじゃなかったんだけど」
慌てて誤魔化した香穂子に、月森は軽く微笑んだ。
その笑顔に香穂子は思わず顔を赤くした。あまり見る事が出来ない月森の笑顔。
「僕を探していたようだが?」
月森の言葉に我に返った香穂子は、眠っている間も手に握り締めていたくしゃくしゃになったチケットを月森に手渡した。
「クラシックのコンサートのチケット、近所のおばさんから貰ったから、一緒にどうかなって思って」
月森は差し出されたチケットの一枚を受け取った。
「今日、昼休みも放課後も一所懸命月森君のこと、探し回ったんだよ。でも見つからなくて、もう無理かもって思って…」
「で、僕を探し回っていたわけか。ここでも練習せずに眠ってしまったのも、その所為か」
ケースに仕舞われずにいたヴァイオリンを月森はふと見た。
「でも、僕も人の事は言えないな。今日は結局君を探していて、練習をしていないから」
月森は苦笑いしながらそう言った。
「でも、有難う、日野さん。このコンサートの演目は好きな曲の一つだ。是非、一緒に行かせてもらうよ」

今日の二人は、すれ違いの連続だったが、二人の距離は今までよりも急速に縮まった事だろう。
《終》

月日創作は、サイトでは2作品目になりますかね。
今回の月日作品は、以前同人誌として書いた作品です。多分2006年に書いたものだから、もう2年前かー。
いろいろと月森くんの話し方が違っていたので、少し修正(苦笑)
確か1、2日で書き上げた気もします。
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