月明かりの下で


 事の始まりは或る晴れた日の午後、宮殿の中庭での事だった。



 紅南国の皇帝陛下である星宿は政務を抜け出し、あの堅苦しい髪を解かれ、物思いに耽っていた。其処に近寄る一人の人物に気付きもせず。



「いいお天気ですね」
 星宿の横に座ったのは、他の誰よりも星宿の事を敬愛している柳宿だった。
「気持ちいい風ですね」
 柳宿は風でたなびいた自慢の三つ編みを押さえた。
「何も訊かないのだな」
 髪を押さえ、空を見上げる柳宿に尋ねた。
「私に聞いて欲しい事でしたら、何でもお聞きしますし、訊かれたく無いのでしたら、何もお訊きしませんわ」
 空を見上げたまま、柳宿は答えた。



「……実は」
 星宿は少し考えた後、話し始めた。
「実は、もう柳宿も分かっているとは思うが、私は美朱に振られたよ。やはり鬼宿でないと駄目だったらしいな」
 星宿は何処か遠い目をして言った。

「その割には、ショックが少ないみたいですけど…」
「えっ…」
 驚いて思わず柳宿の方を見た。どうやら図星だったらしい。
「星宿様は美朱に惚れていたのではなく、『朱雀の巫女』という存在に、惚れていたのではないですか」
 柳宿は其処で初めて星宿の顔を見た。その顔は、何処か労わるような笑顔だった。

「そう、かもしれんな……」
 星宿は何だか寂しそうに俯いた。

「星宿様」
 名前を呼ばれて、再び柳宿の顔を見た。今度は何時に無く真剣な眼差しであった。
「一国の皇帝ともあろうお方が、そんな事で落ち込んでいてどうするんですか」
「柳宿、そんな事とは…」
 星宿は反論した。
「でも、よく考えて下さい、星宿様。本来この時間は何を為さるお時間ですか」
 そう本来ならば、星宿はこの時間政務を行っていなくては為らなかった。あまり仕事に身が入らず、思わず宮殿を抜け出してしまっていたのだ。だが、星宿が居るのは中庭なので、見つかるのも時間の問題だった。
「今は皇帝陛下としてのお仕事を為さって下さい。その後でしたら、ご自由にどうぞ」
 柳宿はにっこり笑って言った。


「それに……」
 ほんの少しの間だけ、柳宿は言葉を止めた。その一瞬の間だけ、何処か寂しそうな顔をしていた。
「柳宿……?」
 その一瞬を星宿は見逃しては居なかったが、柳宿はすぐに普段の表情に戻した。おかげで星宿は、今自分が見たものは見間違いであったのかと錯覚した。
「星宿様を、皇帝陛下ではなく一人の男性として必要としてくれる方が、きっと現れます。何があっても巡り会える筈ですから」
 そういう柳宿の表情は、星宿にはとても輝いて見えた。実際に今では星宿にとって柳宿の存在は、朱雀七星士の仲間というだけでなく、とても愛しい存在に成っていた。



「柳……」
「ほら、星宿様。臣下達がお呼びですよ」
 星宿は何だかはぐらかされた様な気になったが、流石に臣下達に見つかってしまった以上、政務に戻らなければならないのは、一目瞭然であった。星宿はこの場を去るのが惜しそうにしていたが、更に柳宿に追い立てられては、戻るほか無かった。

「柳宿、話がある。夜にでも私の部屋に来てくれぬか」
 そういうと、星宿は返事を聞かずに宮殿に戻っていった。
「どうやら私に拒否権は無いみたいね」
 柳宿は思わず苦笑したが、臣下に囲まれてくどくどと小言を言われている星宿を見ると、それも仕方ないか、とも思った。



                        ◇  ◇  ◇



 そしてその夜───。
 星宿はあの後、困り果てた臣下達の小言を嫌と言うほど聞かされ、たまりに溜まっていた仕事を今日中に片付けるから、と言って難を逃れた。お陰で残り一日、時間に追われて忙しかったのは言うまでも無い。それでも、きちんと髪の手入れをしているのは、星宿らしいというか何と言うか───。


 そんな時、部屋の扉を叩く音が聞こえた。
「柳宿です、入っても宜しいでしょうか」
 星宿は今日一日の仕事の疲れの所為で、柳宿を呼び出していた事など疾うに忘れていた。星宿は適当に返事をして中に招き入れた。
「お話って、何でしょうか」
 立ったままでいる柳宿を、適当な場所に座らせた。
「話と言うのはだな、……その、つまり」
 星宿は言葉に詰まっていた。だがしかし、覚悟を決めたように次の言葉を続けた。
「昼間、仕事に戻ってからも考えていたのだが…」
 星宿は、仕事に身が入っていなかったのかと、柳宿に責められるかと思いつつ話した。
「柳宿……、これからの長い一生を私と共に歩んではくれぬか」
 そう言われても、柳宿は始め何の事かよく分からなかった。
「それって、つまり……」
「そう、私の后になってはくれないか」
 言った後、星宿は照れもせず真剣な眼差しで柳宿を見た。柳宿はとても嬉しそうな表情を見せたが、やがてその嬉しさも顔から消え、凄く寂しそうな顔付きに変わった。



「柳宿……?」
 星宿はそんな表情の変化に気付いていた。そして柳宿の傍に歩み寄ると、まるで壊れ物にでも触るかのような仕草で、柳宿の肩に手を置いた。
「星宿様……。お気持ちは大変嬉しいんですけど……」
 一度見上げて星宿と視線を交わすと、また俯いた。
「けど……?」
 星宿は続きを促した。
「お忘れになりましたか? 私は……、男です。后になど成れぬ身です」
 そう、星宿にとって柳宿がどんなに愛しい存在でも、そして柳宿がどんなに想いを返そうとしても、何処から見ても女性に見えるとしても、柳宿の性別は男だという紛れも無い事実は変えようがなかった。
「星宿様は、誰が何と言おうとも、紅南国の皇帝陛下です。そうなれば、御世継ぎを作らなければならない。違いますか?」
 柳宿にそう問われても、星宿には何も答える事が出来なかった。
「星宿様はお優しい方です。正室をお迎えになれば、後継者問題の為に他の妃をお迎えにはならないでしょう」
 俯いたままの柳宿の顔は、星宿には見えなかったが、その言葉が何を意味しているのか位は分かっていた。
「星宿様が巡り会うべき方は、私ではありません。きっとお間違えになっているだけです。時期が来れば必ずや出会えるでしょう」
 柳宿の肩が僅かに震えているのが、星宿の手にも伝わっていた。星宿は少し考えた後、柳宿の肩から手をどけた。その行為と共に、柳宿は席を立ち軽く会釈をすると、部屋を後にした。



                        ◇   ◇   ◇



 数刻後、中庭に面した廊下の手摺りに肘をついて、夜空を見上げている柳宿の姿があった。
「嬉しかった、星宿様のあのお言葉……。でも、あの方が求めていたのは、柳娟としてではなく、康琳としての私……」
 柳宿は空を見上げたまま、深いため息をついた。晴れた昼間とは打って変わって、今夜は雲に覆われて星は全く見えない。唯一、月だけがうっすらと雲の合間から僅かに顔を覗かせているだけだった。僅かな月明かりだけなので、其処に人が居たとしても、近づくまでは誰だか分からない。
「本当に私を必要としてくれる人に、巡り会えるのかしら…」
 星宿にああは言ったものの、当の本人にそういう人物が現れるかどうか分かったものじゃない。
 その時、廊下の向こうから誰かがやってくる気配がした。それでも柳宿は別に気にはならなかった。ここは宮殿なんだし、いくら夜とはいっても誰かが通りがかったとしても何ら不思議はない。
「柳宿……?」
 突然自分の名前を呼ばれて、思わず声のした方を振り返った。其処に立っていたのは、翼宿だった。二人が向かい合ったちょうどその時、雲が切れ月明かりが二人を照らし出した。



「なんや、泣いとったんか……」
 顔を見るなりそう言った翼宿に柳宿は驚き、そして戸惑った。
「別に…、そんな事はないけど…」
 そう言って微笑んだ柳宿の顔は、明らかに涙を我慢しているのが分かった。
 そんな顔を見て翼宿はいきなり柳宿を抱き寄せた。
「ちょ、ちょっと、一体どうしたのよ、翼宿」
 いきなり抱きしめられて困惑したが、柳宿も敢えてそれを解こうともしなかった。
「涙……、我慢せん方がええ。後が辛いで。泣ける時に泣いといた方がええんや」
 そう言うと翼宿は抱きしめる力を少し弱めた。
「どないしたかは知らへんけど、何時もの柳宿やないで。何も訊かんといてやるから、気が済むまで泣いたらええ」
 その言葉を聞いた途端、柳宿の目からは大粒の涙が流れ落ちた。そして翼宿にしがみ付いたまま柳宿は泣き始めた。
 翼宿は柳宿が泣き終わるまで、ずっと抱きしめていた。この時の翼宿の顔が真っ赤だった事を、泣いていた柳宿は知る由もなかった。



「ありがとう。おかげで楽になったわ」
 心が幾分落ち着いた柳宿は、翼宿からそっと離れた。そして、手摺りにもたれると大きく伸びをした。
「あーあ、これで翼宿に一つ貸しを作っちゃった」
 柳宿はそう言って、顔だけ翼宿の方へ向けた。
「こんなん、貸しの一つにもならんわ」
 赤くなった顔を見られないように、翼宿は柳宿に背を向けた。

「あのね、翼宿…」
 少しの沈黙の後、柳宿は話し続けた。
「私ね、星宿様に求婚されたの」
 その言葉に驚いて思わず翼宿は顔が赤いのを忘れて振り返った。柳宿もそれにはあまり気にしている様子は見られなかったのだが。
「勿論、断ったわ。どんなに想いを寄せていても、所詮私は男。結ばれる事なんてあるわけがないの」
 翼宿は何も言い返せなかった。いや、言ってはいけない気がした。
「それでも、私は星宿様の傍に居れればいいと思ってた。星宿様が想いを返してくれた、その事実だけで私は十分なんだって」
 言いながら柳宿は自分の瞳に、涙が滲んでいるのが分かった。
「人には巡り会うべき人がいる。私はそう信じているの。それが、星宿様の場合、私でなかっただけ……」
 柳宿は一呼吸置くと、また言葉を続けた。
「星宿様の、『運命の人』が、私で、無いとしても…」
 柳宿の瞳には、視界がぼやける程の涙が溜まっていて、声も震えていたが、それでも必死に笑みを浮かべていた。
「それでも、私の『運命の人』は、星宿様だと思っているの。私は星宿様の事を誰よりも分かっている。そして星宿様も誰よりも私の事を分かってくれている。一緒に居て安らぎを感じるのはここなんだなって思えるの」
 最後の方は、一つ一つ確かめるかのように言葉を繋げた。
「結局俺は、のろけ話を聞かされてるんか」
「……、最後まで話を聞いて」
 そう言った柳宿の瞳にはもう涙はなかった。
「星宿様に感じる事の出来るのと同じ安らぎを、翼宿、あんたからも感じるの。ううん、翼宿だけでなく美朱や、他の皆からもそう」
「じゃあ、柳宿の『運命の人』っちゅうんは、俺たち仲間って事やな」
「そう、それが私の導き出した答え。正しいかどうかなんて、誰も分からない。なら、自分で納得出来る答えが正解なんじゃないかって思うの」
 柳宿は自分の言葉に自信を持っていた。
「柳宿は贅沢やな。ぎょうさんおるなんて」
「あら、知らなかった。私って欲張りなのよ」
 ふざけ半分に翼宿が言うと、柳宿も同じようにふざけて答えた。

 いつの間にか空は晴れ渡り、満天の星が顔を覗かせていた。その空は、まるで今の柳宿の気持ちを反映させているかのようだった。この後の柳宿の心に、影が差す事がなかったのは、言うまでもないでしょう。
《終》

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以前発行した同人誌からの再録です。もうかれこれ7、8年前の作品ですかね。実際に作品を作ったのはもう少し前で、多分ふしぎ遊戯、星柳で本格的に同人活動し始めてから少し経ってからの作品だったかと。当時翼柳のお友達さんのふし遊本のゲスト用に、と書いた物だったんですが、原稿のサイズを間違えていて新しく他の翼柳漫画を代わりに提出した覚えがあります。最初に書いたこれは、実はラストは翼柳でした。今手元にその時の原稿がないので確かではないんですが、ラストキスシーンで終わらせたような気も。それを他の翼柳友達と合同誌として出す事にあたり、そのシーンを削って星柳だけにさせてしまいました。でも最初に提出した時の友達からは、「これ、星柳になってないよね」と突っ込まれた気がします。でも結局合同誌で出すにあたり、その当時は「柳宿本」と言うことにしていたような感じで、私は星柳サイドの柳宿作品、といいつつ星柳になってないなーと苦笑いしてた記憶が。
今回ここで公開に当たって、当時の原稿を引っ張り出して文章打っていたんですが、改めて見ると誤字がいっぱい。見直したつもりでいたんですが、漏れがあったって事ですよね。最後に、翼宿の関西弁におかしな事があるとは思いますが、関西人ではないのでそれは多めに見て下さいませm(__)m